ブログ

くれあ 「楢山節考」inマカオ 日報マカオ劇評翻訳その2

マカオ日報 2016年12月8日

「楢山節考」 古い枠組みを破り、新世代の覚醒をうながす

李  爾

 英国のEU離脱は多くの論者をひどく驚かせたが、その後のデータ分析によれば、35歳以下の英国の若者たちは68%が英国のEU残留を望んだにもかかわらず、65歳以上の老年者はEU残留支持がわずか36%だったことがわかった。このためEU離脱国民投票は多くの人たちから「世代間の争い」と称された。さきの米国大統領選挙も、トランプ氏の勝利が人々を驚かせたが、事後の統計発表によれば65歳以上の選挙民の53%がトランプ氏に票を投じていた……などなど、世の中を見渡せば英国・米国の事例は決して偶然ではなく、世界をおおう危機的な騒ぎは、まさにこの「世代間の争い」が広がったことのあらわれであり、これを背景として「楢山節考」という演劇を見るとき、舞台を離れても大いに考えさせるものがある。

演劇空間(マカオ)の主催する「2016年度小劇場芸術交流計画4ヶ国共同公演」が先ごろ佰家文化創意空間で行われた。東京のTheatre Momentsが携えてきた「楢山節考」は、日本の作家・深沢七郎(1914~1987)の同名の小説を脚色したものである。1956年に深沢七郎は短篇小説「楢山節考」でデビューを果たし「中央公論新人賞」を受賞して文壇に躍り出た。戦後世代の作家として、深沢七郎はふるさとに伝わる伝承と伝統民謡にインスピレーションを得、時代の宿命的な悲劇を顧みた。その後、小説は日本の木下恵介監督と今村昌平監督によってそれぞれ1958年と1983年に映画化され、木村作品はその年の「キネマ旬報」で年度ベストワンに輝き、今村作品は1983年のカンヌ映画祭でグランプリ「パルムドール賞」を受賞して世界にその名を知られることとなった。

そしていま同じ物語がTheatre Momentsの手の中にある。いかなる舞台が繰り広げられるのだろうか。

上演冒頭は先ず日本伝統の紙芝居の形式をつかって「楢山節考」のあらすじに触れながらギャグを交えて気分を盛り上げ、劇場空間の雰囲気を作り出し、同時に原作をよく知らない観客に芝居の基本的な流れを理解させる。行き届いた仕掛けだ。紙芝居の最後の1枚が引き抜かれると、木枠の後ろにいた女優が即座に若いころのおりん婆に姿を変え、「楢山節考」の物語が自然と流れはじめる。

上演の基本線は原著の流れに沿っているが、明らかに加筆したところが2ヶ所あるのに気がついた。
そのひとつは山に行く前夜の場面である。原作でこの場面は簡単な記述にとどまり、銭屋宅の老父の又やんが辰平宅に逃げ込んだあと、おりんに さとされて戻ってゆく。しかし舞台版ではこの場面のディテールが豊富に加筆されており、又やんが辰平宅に逃げ込んだあと、おりん親子がひとしきり言い争いをし、おりんの「しきたりを守れ」という勧めに対して辰平はこんなふうに反論する。「むかしそういうしきたりが出来たのは食うに困ったからだ。いまは食いものがないわけじゃない。なんでしきたりを変えちゃいけないんだ」
「おれたちの代からはしきたりを改めよう」という訴えを聞いても、おりんはついに受け入れようとしない。
疑う余地なく、いかなる基準で論じても、おりん婆はつけいるところのない「お手本」だ。おりんは子の辰平を心底だいじに思い、嫁がなくなると、力を尽くして後妻を探し向こう村から後家の玉やんを迎え入れ、女当主としての座も明け渡し、魚とりの妙技までも惜しげもなく伝えてやる。母たるものかくあるべしである。おりんは伝統を守り しきたりに従いつつ実に「大局観」をもっており、自らが山に送られ捨てられる運命にあることを拒もうとせぬばかりか、むしろ心からそれに合わせていこうとする。はたして、この偉大なる母がその身をもって守りぬき全うしようとしたのは、一体いかなる世界なのであろうか。

原作小説の末尾は、辰平が家に戻りつくと、長男とその嫁がいかにも嬉しそうに祖母の着物を身につけてはしゃいでおり、祖先をしたい思う気持ちなど露ほども見せぬ様子を見て、哀しみのうちに山にのこした母への思いが一層つのるという場面だ。舞台版の台本では話はここで終わることなく、さらに最後にこのような一節が加えられる。

「25年が経ち、70歳の辰平もまた山へ行かねばならない。山の上のおりんがもしまだ生きているとしたら、今ごろ何を思っていることだろうか」

この問いかけは、脚本家のペンに神が舞い降りてきたと言って過言ではない。脳裏に想像が押し寄せるではないか。まさにその時、年老いた辰平は、わがままで自分勝手で情け容赦のない長男に負われて楢山に向かうのである。辰平が母を送ったときのような、名残を惜しんで一歩ゆくごとに三度振り返るといった光景は決して繰り返されることはない。むしろおおかた又やんのように、子に負われて七谷に来たところで谷底に突き落とされることになるのであろう。わが子を深く愛した母おりんが、わが子を待ち受けるであろうかくも悲惨な運命をもし知ったとしたら、その思いたるやいかなるものであろうか。おりんは悔やむだろうか。あのとき隣家の老人の「おれたちの代からはしきたりを改めよう」という呼びかけに自分はなぜ応じず、理に合わぬ古いしきたりを打ち破ろうとしなかったのかと。

ここで特に注目したいのは、劇団が題材に沿ってテーマ小道具として「木枠」を使い、「しきたりの枠組みをうちやぶる」という趣旨の隠喩として用い、舞台上で千変万化の効果をあげて、深い印象を残したことである。

深沢七郎が1956年に「楢山節考」を描いてから今に至るまで既にまるまる60年が過ぎ、世の中はさまざまに変化した。人類は第二次大戦の戦火から徐々に復興し、人口は増え経済は離陸したが、グローバル政治経済発展モデルが色あせるに従い、今日の世界は先の見えない騒乱や不安感で満ち、争いごとも世代間のみならず異性間、人種間、宗教間でも頻繁にぶつかりあっている。今日の視点でこれらを見据えれば、「楢山節考」のなかの老年者は文字通りの意味を超えてひろく「弱者」を包含するものと言えよう。人類文明の進歩は、強者が弱者を包みこみ受け入れ助け合うものでなければならない。とくに、満たされない思いが広がり、競い合いが日々激しさを増す今日においては、互いが手を取り合い心を通わせ、古い考え方の枠組みを打ち破って新たな出口を見出していかねばならないのである。

今日の老人はかつて青年であり、今日の青年はいつか老人となる。いずれの世代も、背負った責任から逃れようとするなら、それによって害をこうむるのは自分自身であり子や孫の世代である。恐るべき「楢山世界」に陥りたくなければ、「おれたちの代からはしきたりを改めよう」という勇気と知恵を皆が持たねばなるまい。たぶんそれだからこそ、木下恵介や今村昌平、さらには劇団Theatre Momentsに至るまで(さらにはマカオの作家である周桐亦(しゅう・どうえき)もこの物語をもとに「楢山盟(=楢山の誓い)」という小説を書いているが)、「楢山節考」の物語が異なる世代の作家たちによって繰り返し語り直され、時が経てば経つほどますます新たな今日的意義が加わり、尽きることのない思考と反省へといざなうのである。

Joe Tang(李  爾 )さんのFacebookメッセージ
演劇空間(マカオ)主催の「2016年度小劇場芸術交流計画4地域共同公演」
日本の「楢山節考」 観劇ノート
(2016年11月20日 佰家文化創意空間)
1) 日本の有名な小説である「楢山節考」を下敷きに、目下の世界情勢をも受け止めながら、規則への服従と規則の打破の因果のサイクルを考え直すことにより、深くかえりみ思い巡らせるよすがとなる。
2) 「木枠」をテーマ小道具としているが、このチョイスは台本の「既定の枠組みを打破する」という趣旨に呼応したものに違いない。と同時に、舞台上に千変万化の効果をもたらし、深い印象を残す。また、音響も臨場感を際立たせることに成功している。
3) 役者の器量も十分で、演技も的確であり、ひとりがいくつもの役を演じ替わる様子も自在で、身体動作もきびきびとして、ことばが通じなくても心は支障なく伝わってくる。驚くべきレベルのものが展開している。
4) 末尾で見せたグローバルな現代政治情勢の画像は、国際的な視野を物語ってはいるが、ロジックがわかりにくい部分があり、終演後のトークで演出家が画像の解説をしてくれたが(第二次大戦後70年にわたる地球上の出来事)、日本版の制作具合に比べると、わたしは英元さんの意見に賛成であり、日本版(福島事故前後の比較)のほうが妥当というべきだ。
5) 芝居全体の基本線は原著に沿っているが、注目すべき点としては2ヶ所に加筆があり、そのひとつは山に上る前の夜に、原作では銭屋宅のことがあっさりと書かれている(又やんが辰平宅に走り込むが、おりんの勧めで戻る)のに対して、今回の演出では又やんとおりんの間にかなりのやりとりがあり、しきたりをなぜ破ってはいけないのかという疑問がぶつけられる。きまりが多く、旧を改めることが難しい日本の文化的環境のみならず、今日のグローバルな政治経済の大局とも呼応するものがある。
そしてもう1ヶ所は、劇の終わりのところで、小説の末尾に次のような加筆がある。
「25年が過ぎ、70歳の辰平も山に上らねばならない。山の上のおりんがもし生きていたなら、何を思うことだろう」
この問いかけはまさに、世界が今日のような状況に変化した我々の世代に向けられたものであり、何とも心をゆさぶる。
くれあ
11月マカオで公演した「楢山節考」の劇評の翻訳をして頂きました。2つあります。マカオ日報というマカオの新聞に載りました。長いですが、本当に嬉しい劇評です。ぜひ読んでください!まずはその1です!(翻訳してくださった泉さん!ありがとうございました!!!)

マカオ日報 2016年11月24日

神も泣いた 「楢山節考」を見て

李宇樑

 日本政府が最近公表した資料によれば、80歳以上の日本人はすでに1千万人の大台を突破し、2060年には65歳以上が日本の総人口の40%に達するという。日本は老齢化という深刻な社会問題に直面している。
「楢山節考」は深沢七郎が1956年に書いた小説で、日本の習俗としての棄老をテーマとしている。1983年、2度目の映画化では今村昌平が監督をつとめ、名作とうたわれた。物語が描くのは貧しい寒村で、村人らは米のかわりに粟(中国語原文では「栗」とありますが、誤りでしょう)を食ってしのぐ。70歳になると、まだ達者に働けても長男におぶさり楢山まいりをせねばならぬ。みたまを山の神にお返しするとは美名にすぎず、実のところは働きのない老人を山深くに捨て去って死ぬに任せ、貧しい家の口減らしをするのである。楢山まいりは適者生存の掟であった。物語の主人公69歳のおりんは、長男が後添いを得、孫も嫁をめとった。一家はふたりも余分に養わねばならず、気がつけば冬を越すに事欠くこととなった。孫の嫁が子をはらんだが、この地の習いでは赤子ができても口減らしに捨てるしかない。まだ達者なおりんではあったが、自分が死ぬことで赤子を生かそうと心を決め、楢山まいりを早めることにした。自らの死の尊さゆえに、楢山に行くその日にはきっと大雪が降るものと思った。言い伝えによれば、雪が降ると運がよいのだ。
演戯空間が主宰する4地域小劇場共同公演に、日本のTheatre Momentsは小劇場版の「楢山節考」を携えてきた。その冒頭の処理からして演出のたぐいまれな巧みさがあらわれている。演出を手掛けた佐川大輔は絵本をつかって物語の幕を開け、朗々とした解説に沿って画架から絵が抜き取ってゆき、最後の1枚を抜き取ると、絵の木枠の向こうから物語の主人公のおりんがにこにこと姿をあらわす。本来は悲劇の色濃い説話を軽快なタッチでスタートさせることにより、観客は物語の悲劇性を客観視できるのである。
舞台は簡素で、演出は7名の役者がそれぞれの手にサイズの異なる木枠を手に持ち、これを使って物語の背景やイメージ、雰囲気を作っていく。木枠の使い方は変化に富んでおり、部屋の引き戸になったかと思えば、泥田を耕す農具や引き車に早変わりする。さまざまな組合せ方で、いろんなイメージを作り出していく。役者は芸達者で、手足の動きもしなやか、きびきびとしてリズム感がある。ボディラインと動作と木枠を縦横無尽に使い、照明・音声が絡み合って劇場全体、物語全体のリズムを作り上げる。そうして、1枚また1枚と白い画用紙が死を待つおりんの体の上を真っ白な雪のように覆うとき、そこにあらわれる凄絶なまでの美は、簡素でありながら創意に富む。
上演した小劇場の照明と音響に特別な設備は何もないが、演出はそれらの設備機能を最大限に生かして、ごく限られた備品を使いながらすばらしい照明効果をあげ、音声効果の処理も細やかでメリハリがきいており、演技に使える空間を使い尽くして、小劇場がもつ演出上の制約を感じさせない。小劇場の核心的価値は、ミニマムからマキシマムを創り出し、制約から無限を実現するところにある。演出家はこれを知り尽くしており、「楢山節考」は小劇場での演出テクニックの模範作と言える。演出家はテクニックを芸術の域に高めて物語原作を忠実に再現しており、みごとと言うほかはない。物語を通して人間性と社会に対する厳しい問いかけができるとしたら、上演の意義はさらに高まる。
神が造ったいのちが尊ばれないとは、どういうことか。「楢山節考」が人をぞっとさせるのは、人が自然に老い衰えて亡くなるのではなく、年齢でもって人の生存価値が決められ、いのちが嘲笑の的になることだ。物語は時代背景を特定していないが、ひょっとしたら楢山まいりの適者生存の掟は我々と決して無縁なものではなく、現実世界の中に存在し続けており、資本主義社会の退職制度に姿を変えているのかもしれない。達者であっても、ある年齢に達すると退職させられ社会の重荷となってしまうのである。
物語の中に「楢山節」という唄がある。
「楢山まいりの3度目が来れば
まいた栗から花が咲き
塩屋のおとりさん運がよい
山へ行く日にゃ雪が降る」
まだまだ達者なおりんが山奥に捨てられて死を待つその日、はたして天から大雪が降った。それは雪なのか。むしろあるいは神が泣いているのではないか。
くれあ 2016年11月から始まった3カ月連続3作品マカオでの公演、無事に終了しました。
様々な事がギリギリで決定し、本当に出来るのかな?いや、やるしかない!と覚悟を決め、突っ走ったこの数カ月。始まれば終わりがあるんだね〜。

様々なシチュエーションで、チョイス・決定を下しながら、昨晩全員無事に帰宅。

あ〜〜〜〜〜〜ほっとした〜!

本当に応援してくださった皆様、心からのお礼を申し上げます。
そして、私たちをマカオに呼んでくれたマカオの仲間たち、たくさん助けてくれた仲間たち、心からの愛を送ります。
そしてそして、この大変なプロジェクトに参加してくれた俳優のみんな、スタッフのみんな、心からの感謝と愛を送ります。
みんな恵まれない環境であったにも関わらず、文句も言わず、真摯に行動してくれて、本当に助かりました。
みんなの想いの結果が、今回の成功に繋がったのだと思います。
本当にありがとうございました。

2011年9月に、マカオのパフォーマーであるイレーン、たった一人との出会いから始まって、5年ちょっとでこの出会いがどれだけの輪に広がったことか。
ラストの「生者のための葬儀」の公演に、12月公演「雪のひとひら」のメンバー全員と、2013年「パニック」のメンバー全員、2012年「幸福な王子」メンバー全員が来てくれて、11月「楢山節考」のマカオ・香港のスタッフも来てくれて、終演後、みんなで食事に行って、日本メンバーとマカオ香港メンバー合流での打ち上げ!
これぞまさに国際交流!!!5年間で大家族になりました。

日本のこんなちっちゃなカンパニーをみるために、当日券に並んでくれたマカオのお客様、フリンジのフェスティバルスタッフも、本当にみんな温かく、終演後にも色々と話かけてくれました。
「この世界遺産の聖ポール天主堂跡は、日本人も一緒に建ててくれたんだよ。菊の花が彫ってあるんだ、それは長崎から来た日本人が彫ってくれた。だからマカオは昔から日本人とは深いつながりがあるんだ。だからここで日本人の君たちが素晴らしい公演をしてくれて本当に嬉しい。」
と。

そうそう、この世界遺産である「聖ポール天主堂跡」で、公演をしたのは、我らTHEATRE MOMENTSが初めてとのこと!マカオのカンパニーでは許可は下りないと。
世界遺産だからもちろん管理はマカオ政府!常にセキュリティーチェックが厳しく、公演中ももちろん政府関係者がいました。でもそのセキュリティーのスタッフも終演後にはニコニコで、「素晴らしかったよ。ここで上演してくれてありがとう!」と。

嬉しいですね〜幸せですね〜!
世界遺産だけあって、ここでの稽古は本当に数時間しか取れなかったので、公演条件としては大変でしたが、世界遺産で公演が出来るなんて、本当に最初で最後でしょうね〜。
感謝しかないですね。

さて、この経験を活かし、さらなる大家族になるため、MOMENTSは走り続けるのです!
休む間はないのです!
どうぞこれからもMOMENTSをよろしくお願いいたします!
だい
マカオフリンジ参加「生者のための葬儀」、無事に終了!

大盛況!

楽日は芝居も良くなった!

マカオの仲間も沢山手伝ってくれた。

香港の仲間も観に来てくれた!

とにかく良かった。

さぁ、これから寒い日本に帰るど。
くれあ
10分後に、マカオでのラストショーがはじまります。

入口には当日券を並んでいる人々が!
ありがたいことに、二日間とも満席、立ち見!

12月の雪のひとひらメンバーも全員きてくれて、お手伝いもしてくれて!
昨晩は私と健太へのサプライズバースデーを!!!

健太くん、号泣!

さて、11月から始まったマカオでの3作品上演、これでひとまず終了です!

さぁ、野郎ども!
思いっきり楽しめ!

おいらは、字幕オペレーション楽しみます!
<<   2024年 04月   >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     

Copyright (C) THEATRE MOMENTS All rights reserved.