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01/16: エレン・スチュワート
エレン
私のBIGママが天国に召されました。
「どんな難しい状況になっても、創造のためには諦めない、妥協はしない。全ては愛。」
ということを教えてくれた、BIGママ。
一緒にいたのは、ほんの2週間。
彼女は、ニューヨークのラ・ママ実験劇場の創立者であり、芸術監督。
私のダンスの師である、ケイ・タケイが、若いころ、ニューヨークでお世話になった方。
今から9年前、2002年にシアターXで行われた「インターナショナルダンス&シアターフェスティバル」の公演のひとつを演出するために、82歳?のBIGママがニューヨークから来日したの。二人のミュージシャンとともに。
私は、その作品に出演していたのです。
そう、出会いから別れまで、ほんの2週間。
その中で、オーディションが行われ、キャスティングがなされ、創作が行われ、本番もしたの。
生バンドでね。
私は、語り部としてキャスティングされ、1時間くらいのパフォーマンス中、ずっと歌で、物語を伝える役。
約10日間で10曲くらいかな?
覚えて、歌ったの。
エレンは、足が不自由で、心臓も悪かったのね。
だから、くれあが車で宿泊先から稽古場への送り迎えをしてたのね。
その車の中で、エレンが歌を歌いだすの。
もちろん英語、そして即興で。
私は、すぐに車を止めて、録音機を取り出し、録音するのね。
そして、夜中に家で、その歌を聴きながら、ピアノで音をとって、楽譜をおこすの。
そして次の日、来日したミュージシャンの一人、日本人のよしさんと一緒に、エレンの歌った英語の歌詞を日本語に訳して、それを音符にはまるように、詩的に翻訳してね。
そして、覚える。練習練習練習。そして練習。
毎日毎日、くれあはその繰り返し。
他のメンバーは、振り付けをし、覚え、練習練習。
いろ〜んなメロディーをエレンはどんどん作るの。
彼女は、いつも話すように歌っているの。
彼女の言葉は、歌なのね〜溢れてくるのね〜
車に乗っていて、外の景色を見ながら、詩と音が溢れてくるの。
黒人のエレンは、すごく苦労をしたらしいの。
だから、厳しくて、優しい。
すべてを受け入れて、愛するのね。
歌に、そして芸術に救われてきたのだと思う。
だから、芸術に携わる若い人たちの全ての母となって、力を貸してたのね。
また、当時は、9.11の1年後。
彼女は、あの事件で、大切な人たちを失っているのね。
だから、作品は全て、彼女の祈りだと感じたのね。
ニューヨークでエレンのお世話になって、世の中で認められたアーティストは、世界中にたっくさんいるの。
ケイさんもその一人。
シアターXでの本番には、エレンに会いたくて、たくさんの日本のアーティストが劇場に観に来て下さいました。
エレンは、2006年に長年の演劇界への貢献に対して、トニー賞が贈られ、また、2007年には、世界文化賞の演劇部門で表彰されました。
その時には、日本に来日され、特番も組まれたの。
あらためて、素晴らしい方と、2週間、ずっと一緒にいて、たくさんのことを話したり、教えて貰ったのだな〜と、感謝です。
本当に、たっくさん、愛してもらったの。
私は、エレンのことが大好きでした。
エレンのためなら何でもしたくなっちゃう。
そんな魅力溢れるエレン。
私の夢のひとつは、エレンのニューヨークの劇場で、MOMENTSの舞台をやることだったの。
エレンにMOMENTSの舞台を観て欲しかったの。
手紙やDVDを送ったりもしてたのだけど、私は、世界中にいるエレンのたくさんの子供達の一人。
私の夢は叶う事はなく、エレンは天国へ一足先に行ってしまいました。
たった2週間
でも、すごい2週間
9年たった今でも、エレンとのたくさんの瞬間が色濃く残っています。
エレンの目・声・手のぬくもり・抱きしめられた時のあったかさ
もちろん、エレンからもらった歌も・・・
私はエレンのおかげで、とっても歌が好きになった
「くれあ、あなた、あの歌が一番好きでしょ〜」
エレンにはばればれだった
うわっ息ができない
ふ〜〜〜
9年前のパフォーマンスのラストソングの詩です。
『殺戮 救い すべて許される
神は慈悲深い
憎しみ 愛
愛が途絶えることなんてない
神は見捨てない
神は慈悲深い』
天国のBIGママ〜
ありがとう〜
愛してます
私のBIGママが天国に召されました。
「どんな難しい状況になっても、創造のためには諦めない、妥協はしない。全ては愛。」
ということを教えてくれた、BIGママ。
一緒にいたのは、ほんの2週間。
彼女は、ニューヨークのラ・ママ実験劇場の創立者であり、芸術監督。
私のダンスの師である、ケイ・タケイが、若いころ、ニューヨークでお世話になった方。
今から9年前、2002年にシアターXで行われた「インターナショナルダンス&シアターフェスティバル」の公演のひとつを演出するために、82歳?のBIGママがニューヨークから来日したの。二人のミュージシャンとともに。
私は、その作品に出演していたのです。
そう、出会いから別れまで、ほんの2週間。
その中で、オーディションが行われ、キャスティングがなされ、創作が行われ、本番もしたの。
生バンドでね。
私は、語り部としてキャスティングされ、1時間くらいのパフォーマンス中、ずっと歌で、物語を伝える役。
約10日間で10曲くらいかな?
覚えて、歌ったの。
エレンは、足が不自由で、心臓も悪かったのね。
だから、くれあが車で宿泊先から稽古場への送り迎えをしてたのね。
その車の中で、エレンが歌を歌いだすの。
もちろん英語、そして即興で。
私は、すぐに車を止めて、録音機を取り出し、録音するのね。
そして、夜中に家で、その歌を聴きながら、ピアノで音をとって、楽譜をおこすの。
そして次の日、来日したミュージシャンの一人、日本人のよしさんと一緒に、エレンの歌った英語の歌詞を日本語に訳して、それを音符にはまるように、詩的に翻訳してね。
そして、覚える。練習練習練習。そして練習。
毎日毎日、くれあはその繰り返し。
他のメンバーは、振り付けをし、覚え、練習練習。
いろ〜んなメロディーをエレンはどんどん作るの。
彼女は、いつも話すように歌っているの。
彼女の言葉は、歌なのね〜溢れてくるのね〜
車に乗っていて、外の景色を見ながら、詩と音が溢れてくるの。
黒人のエレンは、すごく苦労をしたらしいの。
だから、厳しくて、優しい。
すべてを受け入れて、愛するのね。
歌に、そして芸術に救われてきたのだと思う。
だから、芸術に携わる若い人たちの全ての母となって、力を貸してたのね。
また、当時は、9.11の1年後。
彼女は、あの事件で、大切な人たちを失っているのね。
だから、作品は全て、彼女の祈りだと感じたのね。
ニューヨークでエレンのお世話になって、世の中で認められたアーティストは、世界中にたっくさんいるの。
ケイさんもその一人。
シアターXでの本番には、エレンに会いたくて、たくさんの日本のアーティストが劇場に観に来て下さいました。
エレンは、2006年に長年の演劇界への貢献に対して、トニー賞が贈られ、また、2007年には、世界文化賞の演劇部門で表彰されました。
その時には、日本に来日され、特番も組まれたの。
あらためて、素晴らしい方と、2週間、ずっと一緒にいて、たくさんのことを話したり、教えて貰ったのだな〜と、感謝です。
本当に、たっくさん、愛してもらったの。
私は、エレンのことが大好きでした。
エレンのためなら何でもしたくなっちゃう。
そんな魅力溢れるエレン。
私の夢のひとつは、エレンのニューヨークの劇場で、MOMENTSの舞台をやることだったの。
エレンにMOMENTSの舞台を観て欲しかったの。
手紙やDVDを送ったりもしてたのだけど、私は、世界中にいるエレンのたくさんの子供達の一人。
私の夢は叶う事はなく、エレンは天国へ一足先に行ってしまいました。
たった2週間
でも、すごい2週間
9年たった今でも、エレンとのたくさんの瞬間が色濃く残っています。
エレンの目・声・手のぬくもり・抱きしめられた時のあったかさ
もちろん、エレンからもらった歌も・・・
私はエレンのおかげで、とっても歌が好きになった
「くれあ、あなた、あの歌が一番好きでしょ〜」
エレンにはばればれだった
うわっ息ができない
ふ〜〜〜
9年前のパフォーマンスのラストソングの詩です。
『殺戮 救い すべて許される
神は慈悲深い
憎しみ 愛
愛が途絶えることなんてない
神は見捨てない
神は慈悲深い』
天国のBIGママ〜
ありがとう〜
愛してます