だい 毎日報道される事件。
いろいろなことが起こっています。




ここで、前回に書いた言葉


あるドキュメンタリー映画の監督いわく


「僕はドキュメンタリーはフィクションだと思って撮ってる」と・・・


同様に、ニュースも、完全なるノンフィクションであるとは思いづらいのです。


ニュース番組は放映時間が決まっています。


あたり前ですよね。でも、これってニュースに関しては難しい問題だと思いませんか?



だって、その日に一杯いろんなことが起きていても、テレビで流すためには、放映時間のなかに編集して無理してでも入れ込まなくちゃならない。


となると、ニュースの放映時間を決める優先順位はなんだと思います?




視聴者の好奇心を満足させることか?


編集者が、視聴者に向けて大事だと発信したいことか?


そこには少なからず、テレビ局の編集者の意思が反映されるはずです。


テレビの公平性というのは難しい問題ですよね。




更に言えば、私たち視聴者も「好奇心の対象」として、ニュース番組を見ていないのだろうか?


だから、テレビ局も視聴者の満足を得るためのニュースを流すのではないでしょうか?




顕著な例を一つ。


1月10日、最初の「実名報道」例で上げた、渋谷の歯医者さんの娘さんがお兄さんに殺された事件。


この事件、あんなにテレビを騒がせていましたよね。


でも今や、妻が夫を殺したバラバラ殺人事件のニュースがテレビを賑わせています。


やはり視聴者の意向が反映されているのでしょうか?




衆愚政治の最大の責任が国民にあるならば


テレビの品格を上げるためには、私たちが変わらなくてはならないのかもしれません。




何気な疑問、次回に続くか?
乞うご期待。